「文章は纏める為、出し切れば幾らでも勝手に書ける不思議」

 『文章は、纏(まと)める為(ため)、出し切れば幾(いく)らでも勝手に書ける不思議(ふしぎ)』 文章を楽しんで居(お)られる人は、初め議事録係(ぎじろくかか)りを経験され以後、文章の魅力に取り付かれた方が多く目につく。小生(しょうせい)も其(そ)の一人で在り詰(つ)まり文章にすれば言いたい事が言えるので在る。言葉では伝えきれ無いと感じた人は文章を始める。
 何故(なぜ)、議事録を書けば文章の魅力に取り付かれるのか。其(そ)れは議事録が文言(もんごん)を纏(まと)めるからで在る。文章にすれば言いたい事が言えるので在り、お話の上手(じょうず)な人と、文章の上手な人に分(わ)かれると言える。お話の上手な人がよく言われるのは勝手に言葉が出てくると、反対に少しお話の得意で無い人は文章の方が得意かも知れません。文章は何でも考えて書くのでは在りません、勝手に筆(ふで)が進むのです。不思議と言えば不思議で、私も議事録を担当してから魅力に取り付かれました。書けば書くほど勝手に別の事も書ける様に為(な)るものです。
 出せば入る「八顕還元(はっけんかんげん)の法則」で在る。文章の場合でも当て嵌(は)まり、書きたいものを全(すべ)て書き出して仕舞(しま)えば、頭の中を空(から)にして仕舞えば次の別の事がドット頭の中に入って来ます。そして又、書きたく為(な)るので在る。此の世は全(すべ)て「振り子の原理」で出来て居ると言う。出せば入る抱(かか)え込まない事。(上代)
           「無意識下の領域を含めた自己実現が大事」