「木遣り研究 其の① 秦氏と鴨氏」

 「木遣(きや)り研究 其(そ)の① 秦氏(はたし)と鴨氏(かもし)」 大まかに言うと、秦氏(はたし)の記録は在るが鴨氏(かもし)は無い。伊勢神宮に準ずる上賀茂下鴨神社の記録はタブーで在る。
 西の秦氏、東の鴨氏。渡来系(とらいけい)秦氏は大陸の文化や技術を多数伝え飛鳥(あすか)時代、701年に秦都理(はたのとり)、秦氏の氏社(うじしゃ)、松尾神社を創建する。推古(すいこ)天皇11年(603年)飛鳥時代に聖徳太子は太秦(うずまさ)、広隆寺の前身、峰岡寺創建に深く係(かかわ)る。
 秦河勝(はたかわかつ)に仏像を与え以後、重用(ちょうよう)し秦氏は桂川そして鴨川高野川の賀茂川の改修付替え工事に成功し財(ざい)を成す。又、下鴨神社との婚姻(こんいん)により社家(しゃけ)と為(な)り結び付く。松尾大社と上賀茂神社に共通点は在ると言われ、上賀茂神社に倣(なら)ったと言う。秦氏と両賀茂社の地に桓武(かんむ)天皇は平安京を長岡京より遷都(せんと)する。
 鴨氏は壬申(じんしん)の乱の折(お)り、天武(てんむ)天皇の道案内をし、現在の賀茂の地を賜(たまわ)った。秦氏は天明(てんめい)天皇の和銅(わどう)2年(709年)秦都理が葛野(かどの)、嵐山の地を賜る。桓武天皇は平安京遷都造営に当たり秦氏の協力の元、伊勢神宮に準ずる両賀茂社に自(みずか)ら赴(おもむ)く。大陸の皇城道教(おうじょうどうきょう)思想で平安京を完成以後、方位等の道教は神道(しんとう)が吸収して終わる。因(ちな)みに中国は仏教を道教が吸収。唐(とう)は民間思想道教に倒(たお)れる。葛野で地鎮祭が初めて道教(どうきょう)が行われ、地鎮祭に今に伝う。(上代)
           幸福の共通点、①人々との交わり②親切心③集中力。