『神の領域を使うと言う事。』

 『神の領域(りょういき)を使うと言う事。』 目に見えない力(ちから)が働(はたら)く。古代の人々は、古墳(こふん)時代に漢字が伝(つた)わり文字とし表音(ひょうおん)で加微(かみ)と読み書き、奈良時代に表意(ひょうい)文字で神と書いた。音楽の世界では、永遠(えいえん)のテーマと呼(よ)ぶ。詩吟(しぎん)の世界では己(おのれ)の身体(からだ)に天から地へ杭(くい)が打ち込まれると。太古(たいこ)より人々は覚(おぼ)えて居る。
 全(すべ)ての技芸(ぎげい)等、スポーツ、職人技(しょくにんわざ)も含(ふく)めて、神の領域(りょういき)を使う場合が多々(たた)在ると言う。「神技」と言うか、徹底(てってい)して追求(ついきゅう)を繰(く)り返して居ると或(あ)る時から、何かに気付き説明の付かない事象(じしょう)が現(あらわ)れる。小生(しょうせい)の場合、永(なが)く発声を追求し、指導者にも恵(めぐ)まれ声楽家にも付いて居ましたが、直感(ちょっかん)で気付きて、イメージとして観(み)えて来るものが在る。例(たと)えば、音階の中に存在(そんざい)しない其(そ)の音程(おんてい)での上昇で在る。音階の中にコブが出来る。音程も狂(くる)わずビブラートか。説明の付かないアクセントが現(あらわ)れ感動を呼(よ)ぶ。神の領域としか言い様が無い。
 どうも、頭の中を空(から)にする必要が在る様です。心も空(から)にする、自分を空(むな)しくするが大事な様で在る。すると、空(から)の頭の中に、どっと新しい何かが入って来る。空(むな)しくした己(おのれ)の中に何か気付きて空(から)にすると入って来る。又、空(から)にすると入って来る不思議なもので在る。確(たし)かに見えないものが観える。(上代)
           見え無いものが観え、書け無いものが書ける。