『斗拱研究 其の⑥ 斗拱は荷重を受けず軒裏飾りと化す。』

 『斗拱研究 其の⑥ 斗拱(ときょう)は荷重を受けず軒裏飾(のきうらかざ)りと化(か)す。』 古代中国で考案された「斗拱」は方杖(ほうづえ)で華々しい多連装斗拱等々(とうとう)の構造美と言える。だが、日本の斗拱は軒裏飾(のきうらかざ)りです。斜(なな)めの天秤梁(てんびんばり)の尾垂木(おだるき)が変化、屋根裏に隠(かく)れる「拮木(はねぎ)」が発明された。又、より長く進化した「起木(はねぎ)」が軒(のき)の出の全荷重を支(ささ)える。通(とお)っては居無い化粧垂木群(けしょうたるきぐん)と共に、飾りの斗拱、化粧軒裏が吊(つ)られる様式美(ようしきび)です。社寺建築の深い軒の出は隠れた天秤梁の拮木(はねぎ)(末口(すえくち)が下)後の起木(はねぎ)(根元が下)は重い軒の全荷重を支えて居ます。化粧での地垂木(じたるき)、飛燕垂木(ひえんだるき)は屋根裏まで伸びず、飾りの斗拱と共にぶら下がって居て、荷重を受けては居ません。隠れた天秤梁の起木(拮木)と野垂木(のだるき)が荷重を受けます。
 天秤梁の尾垂木が屋根裏奥まで延(の)びて、深くて重い軒の出の荷重を受ける拮木、其(そ)して長く進化した起木が発明された。日本の社寺建築は周囲の回廊(かいろう)が無くなり庇部(ひさしぶ)の側柱(そくちゅう)、側桁(そくげた)が無く為(な)る。日本の社寺建築の軒裏屋根は厚く、二重に為って居ます。我が国の社寺建築の深い軒の出は、起木が全(すべ)て受ける。(化粧地垂木が受ける斗拱も在り)起木は軒裏に隠れ深くて重い軒の出を支えて居ます。拮木(はねぎ)は鎌倉時代に発明され、起木(はねぎ)は桃山時代に完成した。(上代)
          ホストの語源「ホスピタリティ」を進める。