「倭国大乱(後170~180年)」と卑弥呼(ひみこ)出現。

 「倭国大乱(わこくたいらん)(後170~180年)」と卑弥呼(ひみこ)出現。 紀元前後、此の頃に倭(わ)の国、百余(ひゃくよ)に分(わ)かれて居た。(全漢書) 後57年、倭(わ)の奴国王が後漢(ごかん)に朝貢(ちょうこう)(属国のしるしとして、外国へ行って贈り物をする)して金印を受ける。(後漢書)後150年頃、登呂(とろ)遺跡の様な農地の灌漑(かんがい)が行われる。後170~180年、此の間に倭国大乱が在った。女王卑弥呼出現し治(おさ)まる。(魏志倭人伝(ぎしわじんでん))238年、魏(ぎ)が楽浪、帯方2郡を接収する情報を卑弥呼は得る。239年、卑弥呼が帯方郡(古代中国領の高句麗(こうくり)地域)に遣使(けんし)して魏に朝貢。(魏志倭人伝)其(そ)の頃、石器は殆(ほとん)ど無くなり、鉄器は普及した。100~220年淡路島に大規模な鉄器工房。240年帯方郡の太守が倭国(わこく)に遣使して魏王(ぎおう)の詔書(しょうしょ)(王の意思公文書)印綬を渡す。(魏志倭人伝)248年、卑弥呼死す、壱与(いよ)が女王と為(な)る。(魏志倭人伝)313年、高句麗が楽浪、帯方2郡滅(ほろ)ぼす。346年、百済(くだら)王は大和朝廷と同時期に成立した。366年、百済に使者を遣(つか)わす。372年、百済王が太刀を献上(けんじょう)(石上神社、七支刀は現存。)384年仏教が百済に伝わる。395年、ローマ帝国が東西に分裂する。「倭国大乱」後に邪馬台国(やまたいこく)成立する。200年頃か。(上代)
 天の道に外(はず)れ無い事。