『倭国(わこく)大乱と弥生(やよい)時代の鉄器、武器製造。』

『倭国大乱(わこくたいらん)と弥生(やよい)時代の鉄器、武器製造』 古事記(712年)日本書紀(720年)に神話が書かれて居り、其(そ)の中に「おのころ島」が出てきます。伊邪那岐命(いざなぎのみこと)、伊邪那打美命(いざなみのみこと)の二神、国生(くにう)みの「おのころ島」に下(くだ)りて、淡路島、隠伎島(おきのしま)、伊伎島(いきのしま)等生んだと言う。淡路島の淡路市、垣内(かいと)遺跡で弥生後期(後100~220年)の鉄器工房と見られる竪穴式(たてあなしき)建物跡、11棟が見つかって居る。床面土間に強い熱を受け赤く焼けた多数の炉跡が、出土(しゅつど)して居る。弥生時代(紀元前500~後300年)鉄器製造は九州北部で始まり、後期に瀬戸内海の東部に拡(ひろ)がったと言う。政治の中心が九州北部から近畿へ移る時期とも重(かさ)なって居る。最も大きい円形の(直径10.5m)建物跡に十か所の炉跡が出土、淡路島には大規模な鉄器工房が在ったと言う。
 邪馬台国(やまたいこく)成立前の「倭国大乱」(わこくたいらん)の時期に当りて武器が必要とされて居たか。機内(きない)に鉄器工房の数は少なく、垣内(かいと)遺跡の工房から鉄器や武器が供給されて居たで在ろう。当時、鉄素材は国内に無く、朝鮮南部の新羅(しらぎ)より鉄鋌(てってい)(鍛造(たんぞう)の扁平(へんぺい)な細い鉄板形)に遥(はる)か船で運搬、保有し此れを鉄器に加工した。(上代)
           難解な「倭国大乱」に挑んで居ます。