『誰でも文章家に為(な)れます。』

 冒頭(ぼうとう)に言いたい事を云って仕舞(しま)う。文章は面白く無ければ為(な)らないが、私の場合、テンポが在って良いと言って貰(もら)える。悪く言うと「支離滅裂(しりめつれつ)」とも言えますが、要するに次から次へと話が繋(つな)がる必要も在ります。文章とは本質(大切な性質)を伝い嬉(うれ)しい想いも伝うのか。
 歴史では時代が飛んでも関連する事柄(ことがら)が繋(つな)がり、本質を突く処(ところ)にも意味が在ります。結局、面白く無ければ文章と言えません。関係が無いと思わる、二つの話が一つに合(あわ)さるも感動生じ、今を通じ未来から過去へ繋(つな)がって居る。
 文章を書くには、ペンを取ってから考える。余(あま)り考えずに、ペンを走らせるので在る。想った通りに客観的にも書くので在る。客観的とは、己(おのれ)が書いて居るだけでは無く、他力にも委(ゆだ)ね天命(てんめい)(先祖)を信じるも大事。要は書かされて居るので在って、出し切って、空(から)にする事が大事で在る。決して、小出(こだ)しに書いて居る訳(わけ)では在りません。故(ゆえ)に本人、何処(どこ)へ帰結(きけつ)するのか解(わか)りません。
 大事なのは抱(かか)え込(こ)まないで、無理矢理にでも公表する事。ホームページ等、発表すれば其(そ)れは終わり、頭が空(から)っぽに為ります。すると、次の事が不思議に満(み)たされ、又、書きたく為って来ます。誰にでも文章家に為れます。(上代)
           人間の問いは、何にを明らかにすべきか。