『京町家』のお話。其の52 「京町家」、一応の帰結を示す。 

 「京町家」、一応の帰結(きけつ)を示す。『京町家』を纏(まと)めると「カマドとコンロ」が台所を与(あずか)り(有力に役立つ)て、移(うつ)り変わりを通じ、一応の帰結を見た。太古より竪穴式(たてあなしき)住居の三和土(たたき)の土間と囲炉裏(いろり)にて。
 其(そ)れで要するに「京町家」とは、平安京遷都(せんと)造営時に於(お)いての産業振興の為(ため)、「有司百官(ゆうじひゃっかん)」を置き、各職業集団の使用人達が集められ産業育成が図(はか)られた。都(みやこ)の都市生活は庶民の住まいでの公共事業に依る「長屋(ながや)」から始まった。元々の庶民は、農業に従事(じゅうじ)する一般農家で水田と共に郊外の竪穴式住居に住まう。都市の庶民とは各職業集団、集められた職人達を指(さ)し、長屋より商店は生(しょう)ず。
 農家の竪穴式に柱が立ち壁は迫上(せりあ)がり草葺(くさぶき)屋根の伝統建築へ。都市の庶民は長屋住まいから始まるが長屋では間口(まぐち)も狭(せま)くカマドでは防火上困難(こんなん)と為(な)り、炭火(すみび)のコンロが設(もう)けられ炊事を木製流し(はしり)等と共に台所は造られる。
 室町時代に土間と板間は半々と為り、納戸(なんど)と呼(よ)ぶ寝室は板戸で仕切られる。江戸に幕府は移り防火意識も高まると屋根に瓦が葺(ふ)かれ商店は中二階の店舗併用(へいよう)住居「しもたや」が建てられ商店街形成さる。コンロから一転、カマドが据(す)えられ、防火の大屋根裏まで土塗籠壁(つちぬりこめかべ)の火袋(ひぶくろ)も設け、今に伝う。(上代)
          誰でも文章家に成れます。
          『京町家』のお話は、以上で終ります。