『京町家』のお話。其の53 長屋は賃貸、京町家も元借家。

 長屋は賃貸(ちんたい)、京町家も元借家(もとしゃくや)。 平安京は唐(とう)の都(みやこ)を参考(さんこう)に碁盤(ごばん)の目状、整然たる坊条(ぼうじょう)都市。各道路区画は一辺が60間(けん)、40丈(じょう)の一町(いっちょう)約120㍍四方。各道路は2丈幅の6㍍(因(ちな)みに国道幹線は7丈の21㍍幅)で在った。現在の京都の街も基本的に変わって居ない。
 公共事業で整備された産業育成の為(ため)の庶民の住居、長屋は家賃が取られた。平安京の各通りに側溝も施(ほどこ)され水が流されて雨水とトイレ(当時は裏に水路を引き跨(また)いで水洗)は河川に流される。各区画の中央部に空地も多く在った。
 時代は下(くだ)り、水田は郊外に多く拡(ひろ)がり人口を支(ささ)える。室町時代にはトイレは汲(く)み取られ、畑等の肥料(ひりょう)に為(な)った。各区画中央部の空地に路地は通されて、辻子(ずし)、又は図子(ずし)と呼(よ)ぶ私道も付けられ奥の空地には借家や寺等建てられ埋(うま)る。
 通りに面した庶民の住居は商店街を形成し、江戸時代には間口3間の約6㍍間隔20軒並び、奥に深い鰻(うなぎ)の寝床(ねどこ)状形成。都は東に拡がり空地は開発され、道路と住居(借家)が建てられ街を形成した。各町内は道路を挟(はさ)んで約40軒並(なら)び(奥にも路地で住居等)当初、道幅6㍍で在ったが各戸前に床几(しょうぎ)が置かれ物を売る商店街形成する過程で、道幅狭(せば)まり約5㍍と為った。(上代)
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