『京町家』のお話。其の51 焜炉(コンロ)とカマドと対比。 

 焜炉(コンロ)とカマドと対比。瓦等重量物や多量な運搬は水運が利用された。平城京大改修の際に瓦を造った木津市、木津川の大規模官営(かんえい)工房跡(あと)「上人ヶ平(しょうにんがはら)遺跡」等や平安京遷都(せんと)造営時にキョウトフ大山崎、淀川で瓦を生産した「大山崎瓦窯跡」は在る。計画的に建設された大規模な官営瓦工房で在った。一窯の大きさ全長3.9㍍、最大幅2㍍で在る。
 其(そ)れで、木炭(もくたん)は何処(どこ)で焼かれたので在ろうか。瓦は約1200度で焼かれ(須恵器(すえき)は高温で1500度位。)木炭も焼かれ共に供給された可能性も在る。平安京の庶民の住まい、雅(みやび)な「長屋(ながや)」ではカマドは無く、焜炉(コンロ)が用いられ炭火(すみび)での炊事で在ったと想われるので多量の木炭も供給される必要が在る。木炭は何所で生産されたので在ろうか。焜炉(こんろ)と書くので薪(たきぎ)でも両方くべて使用したと想わる。飛鳥(あすか)時代の太秦(うずまさ)、広隆寺付近での竪穴式(たてあなしき)住居跡(あと)に出土(しゅつど)し復元(ふくげん)した「移動式小形カマド」は焜炉(コンロ)原型で在ると確信す。
 時代も下(くだ)り改良も加えられ、平安京の庶民の住まい長屋の台所に据(す)え炊事を担(にな)って居たで在ろう、復元した移動式カマドの羽釜(はがま)は細長ずん胴型(どうがた)で在る。炭火の火力では改良される後も細長のずん胴型で在ったと想わる。(上代)
           目標を立てて、挑戦することが大事。