『京町家』のお話。其の48 農家の伝統と町屋の様式融合。

 農家の伝統と町屋の様式融合(ようしきゆうごう)。桃山時代(1574年~)に台鉋(だいかんな)は考案され江戸時代(1615年~)に入り普及(ふきゅう)する。台鉋(だいかんな)によって其(そ)れまで、古来よりの槍鉋(やりがんな)の荒削(あらけず)りな民芸(みんげい)風潮の雰囲気から、洗練された公家や武家屋敷の平滑(へいかつ)な仕上げに民家、町屋も同様可能と為(な)った。
 桃山時代には多様な文化も花開き、江戸時代に入ると世相(せそう)も安定、人口も増え経済活動が盛んに為る。京の都(みやこ)では室町時代(1336年~)長屋は立て替えの度(たび)に合(あわ)され戸建(とだ)てと為り、長屋が消え戸建ての街並(まちな)みへと変貌(へんぼう)して行く。戸建ての住まいに変わると、長屋では狭(せま)すぎて炭火(すみび)での炊事で在ったが其(そ)れでは非効率で、商店等では使用人も増え、カマドでの炊事場が必要不可欠と為った。カマドを据(す)えるには防火上、高い屋根裏までの空間、懐(ふところ)が必要で平屋は不可能、中二階の階高が必要で在った。「しもたや」の原形が生まれ、商店街は同様の建て方へと様変(さまが)わりして行く。京の都では、中二階建の風景へと移って行く。屋根は瓦葺、防火の為(ため)、中二階の外正面にむしこ窓、三和土(たたき)の通り庭にカマドが鎮座(ちんざ)し、屋根裏まで土塗籠壁(つちぬりこめかべ)の火袋(ひぶくろ)も施(ほどこ)された。
 京町家の原形も「しもたや」から始まったと結論付(づ)けられるだろう。(上代)
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