『京町家』のお話。其の49 炭火の移動式小形カマド出土。

 炭火(すみび)の移動式小形カマド出土(しゅつど)。先日、馴染(なじ)みの太秦(うずまさ)、広隆寺近辺で飛鳥(あすか)時代(後538~709年)の竪穴式(たてあなしき)住居跡(あと)が出土と新聞紙上に在り、竪穴式住居研究の第一人者を自任する小生、直観す。此れは観て置く必要が在る。平安京遷都(せんと)造営にも繋(つな)がり現場説明会に行った。
 山背(やませ)、山城の国、京都の太秦に有力渡来系(とらいけい)の秦氏(はたし)は古くから居(きょ)を構(かま)え、大和政権にも影響力が在り、今の広隆寺の前身で在った氏寺(うじでら)として建立(こんりゅう)される。
 付近で小型竪穴住居群が出土した。広隆寺建立の為(ため)の工事に従事(じゅうじ)する人達技術者、各職業集団に係(かかわ)る可能性も在る。此の小型の竪穴住居跡には在る筈(はず)の据(す)え付けカマドが無い。囲炉裏(いろり)も見当たりません。出土したのは三和土(たたき)の土間北側寄りの場所に「炭火による移動式小形カマド」が在った。(説明では炭火では無くて考えも及んで居無い。)此の移動式小形カマドは炭火で煮炊きしたとしか考えられず、平坦(へいたん)な三和土(たたき)の土間が少し焦(こ)げて居る。薪(まき)をくべたとは考え難(にく)い。此の、移動式小形カマドは炭火で煮炊きしたと断定する。此の、小型で移動式に改良も加えられて、平城京、其(そ)して「平安京」の庶民の住まいで在った平屋連棟で雅(みやび)な「長屋(ながや)」の台所で活躍したで在ろう。(上代)
          夢が在れば、目標と為る。