南無(なむ)とはインドから中国へ仏教が伝わり、ナムと呼ぶ言葉の響きに(中国では、ナンに近い。)表音(ひょうおん)文字の南無が当てられた。阿弥陀如来(あみだにょらい)に帰依(きえ)します、祈る唱(とな)える言葉と為(な)った。続いて、「阿弥陀」は、阿(あ)とは否定語で「弥陀」は此の世、大宇宙や目に見える世界の事で、前否定が付くので、森羅万象(しんらばんしょう)、此の世界以外での、存在を指(さ)すので在ろう。此の世の、見え無い世界に居られる「阿弥陀仏」にお縋(すが)りするので在ろうか。ナムとはインド料理のナンの事ではと、ふと想う。
鎌倉時代初頭の1207年、3年に及(およ)ぶ「念仏禁止令」阿弥陀信仰(念仏教団)仏を冒瀆(ぼうとく)と後鳥羽上皇の時、弾圧された。民(たみ)を救え無いと法然(ほうねん)(1133~1212年)貴族に支持されて居た「密教(みっきょう)」を否定し天台(てんだい)(比叡山)を下る。現在の仏教と続く阿弥陀信仰への移行期、鎌倉新仏教台頭(たいとう)で在った。
釈迦如来の仏教が伝わり、其(そ)して切実な病気に難儀(なんぎ)し、薬師如来にお縋(すが)り、平安初頭に空海、最澄(さいちょう)に依り神仏習合(しんぶつしゅうごう)の太陽神、大日如来に日本は救われ、平安中期より末法思想(まっぽうしそう)、蔓延(はびこ)り(釈迦没後、2000年には仏のご加護から見放されると言う。)阿弥陀如来が普(あまね)く救うと人々は信じ現在も伝う。(上代)
小生も毎朝、仏壇の両親に手を合わせ「南無阿弥陀仏」と10回唱えて居ります。