『養心と景観』よく解らなかった言葉を今、漸(ようや)く知る。

 「養心(ようしん)」、時折不信の中、彷徨(さまよ)いて見失い易(やす)いもので在るが決して、欺(あざむ)かない事、疑(うたが)わない事だと念じて行い、内なる無限の力としての『信』を培(つちか)い、喜(よろこ)んで生きる力を養(やしな)わんと欲(ほっ)す。「景観」町屋の顔の外構(そとがま)えも大事な要素かも知れない。生きる生活の場、道路、地域を形創(つく)る家々通りの町並み等の良さも感じられて、好きな愛せる町並みをも育(はぐく)んで行く保存して行く必要も生じて居ります。「養心」には住む町並みの「景観」も必要で在ろうか。何故(なぜ)ならば、心を養うに住む人々の心の触れ合いも在れば良い。心豊かな町並みも欲しいと想う。
 先日も、京都市の外郭団体『財団法人、京都市景観・まちづくりセンター』京町家まちづくりファンドが立ち上げられ、京町家等の再生、地域に合った街造り、「景観」を重んじて其処(そこ)に住む住民相互の心の触れ合い等がより深いものと為(な)りて、味わい深い暮(く)らし向きと為る様、街の雰囲気造り、地域景観造りを積極的に推(お)し進め様とされて居る。然(しか)し、多くの費用も掛かる様で在る。
 「養心と景観」、人は自分中心の利己主義に陥(おちい)り易いが、自己(じこ)の人づくり「養心」街づくり「景観」も楽しく喜んで生きる為に推し進めたい。(上代)
           解(わか)らなかった事も少しずつ分かる。