『イチローも儀式を取る、天の配在を知り神と交なうのか。』

 マリナーズのイチローも儀式をグラウンド上で、又、生活の中でも決まった時間に儀式の様な事を繰(く)り返すと言う。『儀式』とは何ぞや、儀式とは神と一体に為(な)ろうと考え、神と交(まじ)なおうとした行為で在ろう。要するに、儀式とは己(おのれ)と一段と高め様とす作法(さほう)で在ろう。今に伝う日本の儀式は平安京造営当時に体系化す。
 「御柱(おんばしら)」は天上(てんじょう)の神々に御出(おい)で頂く目印に高く立てた杭(くい)、御神木(ごしんぼく)で在る。卑弥呼(ひみこ)の時代より天皇等の木棺(もっかん)は割り竹型木棺に統一されて行く。聖徳太子の時代に移ると、道教(どうきょう)思想に拠り墳丘墓は前方後円墳から八角形等に移り、羨道(せんどう)が付き玄室(げんしつ)の石棺(せっかん)に納(おさ)め直(なお)す。御神木の木棺から石室に納める迄(まで)の間、傍(かたわ)らに立て、天上の神と人と大地が御柱に依り一体と成りて永遠の生命を得ようと考えたのか。御神木は神仙(しんせん)思想、道教(どうきょう)での『太一(たいいつ)、御柱』で大地と天上が直接繋(つな)がり其(そ)の間に「人」が入れば「天、人、大地」三位一体と為る。斧入式で一対、二本の御神木を『人の字形』に伐倒す、やはり御柱は人を現して居るのか。古代中国で神、「天皇大帝」の前身を太一神と称して居た。
 『永遠のテーマ』、儀式に依り己を高め、大自然と一体と為り得る。(上代)
          結果を残さんと欲す。