『己(おのれ)の夢の実現に付いて、』のお話。

 己(おのれ)の夢を語る、実現させる為(ため)に語る大切さを、よく拝聴しますが確かに己の夢実現の為生きて居ると言える。
 先日、インドのベンガルに由来する岡山県の吹屋(ふきや)ベンガラ(弁柄(べんがら))で繁栄した商家伝統建築群の見学に参加し、バス道中にて山陽道、姫路西インター手前付近北斜面中腹に何とドイツ、ロマンチック街道のあの「ノイシュバンシュタイン城」が建って居る。ガイドさんの案内等では、見学も出来そうで、ホテルでも無く個人の持物らしく、内部には絵画が飾って在ると言う、詳細は不明。想うに、誰かの夢実現で在ろうか。凄(すご)い事だ。確かに、どんな事でも不可能な事は無い。夢を実現されて居る人は、確かに次々と実現されて居る。
 小生の場合の「夢の実現」とは、殆(ほとん)どが子供、少年、青年時代の夢を追いかけて居た。一応、実現して居り、其(そ)れで満足して以後、夢を見る事も無く、終わって居ると言える。現状満足して仕舞うと己の前進は止まるで在ろうか。
 小生、吾十有五にして自分のレールの先が観(み)える己が此の程度で終わって仕舞うと悟(さと)り新たな夢、志(こころざし)を懐(いだ)いた。想い付いたのが『随筆家』で在る。文章家に憧(あこが)れ一心不乱に七年間、書き続けて今、可能性が出て来た。(上代)
            一心不乱に続けた事が残って行く。