漢字『日』は「窓」の表意文字、小窓「篠(しの)の目」で在る。

 漢字『日』は「窓」の表意(ひょうい)文字、小窓「篠(しの)の目」で在る。太古より日本の住まいは竪穴式住居から始まるが、最初「窓」は、はしりと呼ぶ流しの前、排水の為(ため)、東向きに開けられた小開口で在る。約70cmの高さの土手や周提(しゅうてい)に楕円形の伏屋根(ふせやね)を架けて覆(おお)い、茅葺や土等が載せられて居た。中央に煙り抜きが設けられ、南側に跳(は)ね上げの窓兼用、躙(にじ)り口の開口。其(そ)の土手、周提上に水甕(かめ)が埋められ横に、まな板の石皿(いしざら)と石包丁が在り、「流し」の原型が出来る。
 又、砂を流す為なのか水を掛け、砂も擦り潰(つぶ)す様だ。古代人達は食物中に砂が混じりて難儀(なんぎ)したらしく歯が擦(す)り減っていたと言う。此の排水開口部が住居の「窓」と成り「篠の目」と言う。正に「日」の形で在ろう。三和土(たたき)と呼ぶ土間、茵(しとね)と呼ぶ敷物上で横に為り又、土腰壁を囲(かこ)む葦簾(よしず)に靠(もた)れて夜が明け、東の地平に紫に雲が輝き、小窓の篠(しの)竹「篠の目」から覗(のぞ)きて安堵(あんど)する。後に此の窓を「東雲(しののめ)」と呼ぶ。「篠の目」が同意語の「東雲」と相成った。託(たく)された想いか、闇夜が明け安堵と伴に美しい紫の輝きに希望を抱(いだ)いて見詰めたのか。綿々と太古より、日本人の心の中に染(し)み付いて来たので在ろう。格式の蔀戸(しとみと)、数寄屋建築や茶室等の下地窓、京町家の飾り格子も「篠の目」で在る。(上代)
           太古よりの、託(たく)された想いが綿々と心に伝う。