「上代論で、『御柱』は卑弥呼(ひみこ)依りの木棺で在った。」

 天上の神々に御出(おいで)で頂く、目印に高々と垂直に立てた御神木(ごしんぼく)の長い杭が、御柱(おんばしら)で在る。
 弥生(やよい)時代(紀元前400年~後300年)末期(後150年頃)より、木棺(もっかん)の形は、割竹形木棺に(大和政権に依り、)統一されて行く。長さ約5m、直径約60センチで御神木の丸太を二つ割りにして、側(がわ)厚を約6センチ残し、中をくり抜いて二つ合わせにして天皇や支配者、地方豪族の埋葬の木棺とす。古墳時代(300~538年)中期(400年頃)には古墳は羨道(せんどう)が通され、石棺(せっかん)へと移行した。大陸より伝わる祖霊信仰に依り、支配者層の墳丘墓はエジプトのピラミッドそっくり四角錐(すい)型。頂点から白い葺石(ふきいし)が張られ輝いて居た。最古のものには堀が無く、次第に四方に水が溜(た)められ、やがて周溝(しゅうこう)が巡(めぐ)らされる様に為(な)った。初期の古墳は地形の小山を其(そ)のまま利用し、上から掘り下げた。御柱の割竹形木棺を前方後円墳中に垂直に立てて納(おさ)められた。基本は四角錐型に土を加え葺石を張る。『御柱』は亡骸(なきがら)をを御神木中に納(おさ)めた、二つ合わせの木棺で在る。神仙(しんせん)思想「天、人、地」一体と為りて永遠の生命を得ようと考えたので在ろう。唯、古代の歴史は論説の世界でも在る。(上代)
           お話は、大変面白く、為って来ました。