『愛すべきは、我を苦しめ我をさいなむ人々で在る。』と言う。

 倫理では、『愛すべきは、我を苦しめ、我を苛(さいな)む人々で在る。』小生、唯今現在、つまらない他人事と想って居た相続問題が発生し係争中で在る。我が身に降りかかるとは夢にも想って居なかった、不徳の致す処か。然(しか)し、有難い事に周りの方々にも教わり助けられて居ります。私には子供が居りません、妻と二人、仲良く楽しく暮らして行く外無し、と考えて居りましたが色々と事も起こる様です。お蔭様で、「些(いささ)かも動ぜず、」と倫友や倫理の実践に依ると喜んで居ります。「他人から加えられる口舌の刃(やいば)、理不尽な仕打ち、責められ苦しめられる時ほど、相手の気持ちを深く思い遣ってみよう。我が身を省(かえり)みよう。見えなかったものが、観えて来ないか。何かを教えられて居る事に気付かないか。気付いたら、もう相手は敵では無い。」と言う。確かに、「一心不乱」に成したものも在ります。一つの要因としても言える。喜ぶべきで在るのか。
 所で私、60歳に成りまして近年、頓(とみ)に人から教えられる言葉の中に亡き父母が喜んで呉れる事を為(な)して居るかと問われます。我が人生を顧(かえり)みて確かに是(これ)を果たせば、きっと喜んで貰(もら)える事が在ります。其(そ)れを為したい。(上代)
             時は巡(めぐ)り、人の心も揺れるのか。