『謎に迫れるか、「平安遷都造営」のお話』 其の20

 余談、では在るが、古墳時代(300~538年)に大陸より、文字(漢字)が伝わり、神を『加微(かみ)』と書き記す。何かが『加(くわ)わる』のを感じ大自然の中、天の神々とも交(まじ)なう。
 天から振り下ろす如くの道具『鍬(くわ)と釿(ちょうな)』。神、『加微』が加わると考えた。日本古来、伝統の竪穴式住居。家族で造るが先ず、水捌(みずは)け水利(すいり)の良い土地で円形50㎝程掘り下げる為シャベルに似た木製の鋤(すき)で土を鋤取って居たが、石斧(せきふ)の鍬で振り下ろし掘りて鋤取ると、楽に掘れる様に成った。鍬や釿は原形の『膝柄斧(ひざえふ)』で柄付きの切り株枝、直角に「石包丁(いしぼうちょう)」を付けた物で在る。
 紀元前6000年頃より集落での死者を埋葬する儀式より始まる堀立柱祭殿建築も建てられ、大木を伐り出す必要も生じ石斧で釿の原形、膝柄斧、重さも加わりて上から振り下ろし、立木をささら状にして、火を使い伐り倒す。又、火を使った事に拠り自然の山々湖沼、木々にも神々が座すると考えた。石斧の斧(おの)は紀元前一千年以降に出土、振り下ろす膝柄斧が先に使わる。石斧の柄の取り付けが難問。「釿」は何かの力も加わりて楽に大木も切り倒せ、削(けず)る平らに丸くする、多用で神聖な道具として感じ得たので在ろう。(上代)
               其の21、に続く。
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