『謎に迫れるか、「平安遷都造営」のお話』 其の21

 平安時代(794~1191年)初頭、斎部広成と言う年寄(としより)(住民の頭(かしら))「蓋-開く、上古の世は未だ文字あらず貴賎老少口々相伝え」と述べて居ます。文字は350年頃伝わり平安時代に和歌のカナ文字考案される迄、普及していない。其れ迄、宮中役所間での記録が主で、表意(ひょうい)文字から表音(ひょうおん)文字そして表意へが必要。
 表意文字とは意味を表し、表音文字とは発音を表す。例えば「神」の字は、表音文字で「加微(かみ)」と書いて表して色々学習を重ね不便な想いをしながら、「万葉集」等より、カナ(表音)文字が作られ、ついに表意文字(漢字)が、日本語としての漢字が成立した。表意文字とは漢字が出来る時に、色々の思想、考え方、象形(しょうけい)等が含まれて成立していく過程を経て、完成された文字です。
 例えば、「神」は(示(しめす))編(へん)と(申(もうす))の旁(つくり)から出来て居ます。(示)は祭卓、祭壇を表し、(申)は電光を表します。中国人も日本人も「電光、稲妻、雷(いかずち)」に「神」の姿を見ました。其処で、神前に祭卓を据えお供物(そなえもの)をして、お祭したのです。此れ拠り、国家神道成立す。日本人は、神を「カミ」と読んだ。当時の日本人は外国語、中国文字を日本語に読み返してしまいました。
               其の22、に続く。
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