『謎に迫れるか、「平安遷都造営」のお話』 其の14

 第49代桓武天皇、平安京造営に理想城都、切望す『常世辺(とこよべ)の王城』、野辺に佇(たたず)む安寧の、神仙境。「倭姫命(やまとひめのみこと)」鎮座地求め諸国巡り「天照大神」、神風の伊勢国、居むと信託。其の地に社造営に至ると在る。伊勢神宮は『常世』に最も近い場所と記さる。
 「太一(たいいつ)」とは何ぞや。「道教」では天皇と並ぶ神で、天皇祖神「天照大神」と習合す。「太一神」は古来、中国の東方を治める最高神と称す日本では、と想われる。第39代天武天皇(大海人(おおしあま)皇子)が皇位継承を廻って争われた古代最大の内乱、壬申の乱(672年)勝因は伊勢神宮からの神風に依ると。
 伊勢を通る際、斎の宮(さいのみや)方向に天照大神を遥拝(ようはい)す。戦場に烈風が吹き、伊勢神宮方向からの追い風が味方し圧倒、勝利したと言う。即位すると「斎宮(さいくう)」復活し、娘の大伯皇女(おおくにのひめみこ)を送り伊勢神宮に仕えさせた。合わせ「宮室」の為「御柱」を送ったと想わる。「道教御柱」を示す「太一」、を掲げ曳かる。51代嵯峨天皇は天武帝吉野下る際道案内す、と言う賀茂社へ斎王皇女仕う。伊勢神宮へ木曳音頭と共に曳く遷宮用材「御神木」は、元を正せば天武天皇より送られし「御柱」。要するに「御神木」は『御柱』の事で在る。(上代)
               其の15、に続く。
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