『謎に迫れるか、「平安遷都造営」のお話』 其の10

 宣(のたま)わく、歴史は、本筋が分かれば良い。一口で言うから一口講座展開す。書けば纏(まと)まり繋がり、結び付く。平安京造営「都市計画」での基本の一つに王城、適地を探(さが)す「風水」取り入れ、京都は理想の地で在ると言われる。其れでは『風水』とは何ぞや。風水とは神仙思想「道教」で天と人と地の三位一体と考え人体も宇宙と考え大地も人体生命と考え、風水は古代中国、歴史から編(あ)み出したので在ろう。
 風水に於ける大地、生気の流れを龍脈(りゅうみゃく)と表現す。「背山臨水(はいざんりんすい)、北座南向(ほくざなんこう)」王城は北高南低の盆地が良いとされ、北、東西に山が連なり、東よりに南に川が流れて居る必要が在ると言う。東は陽龍、西は陰虎、北は玄武、南は朱雀。
 要するに、大地を人体に見立てて「宮城」(皇居)は龍穴(りゅうけつ)(虎穴)、生気が吹き出す所に、大極殿が設けられた。其の宮城は女性の「子宮」とし、産まれ、又、帰る『生気の巣』と捉(とら)えられた。前面の朱雀大路は「羨道(せんどう)」で、気を南下させ、城外の南、朱雀へ汚れた気を押し下げ、鴨川、桂川、宇治川等より流し出され清新な気が北、玄武より供給さる。「宮城」の子宮が「宮」「生気の巣」と成り、神社、皇族貴族の家を「宮」と好んで称した。(上代)
               其の11、に続く。
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