『謎に迫れるか、「平安遷都造営」のお話』 其の11

 平安京造営には少し外れるが「都市計画」の組み立て方を探る為に『古墳』『墳丘墓』にも目を向ける。道教の風水、神仙思想により天皇陵は八角形、子は六角形、近親者、有力豪族は円墳で在り、他は方形で在った。仏教が伝わった以降は、火葬が多く為る。極彩色の、キトラ古墳等「四神」玄武、青龍、朱雀、白虎、石室の中、四方に画かれ天井には天文図が画かれる。入口からは羨道(せんどう)が続く。
 飛鳥の地に正に、天、人、地が三位一体と成りて羨道の奥に眠る。地上に開かれた、此の世と彼の世の接点を求め、「生気の巣」が子宮に生まれ帰る所と信じ祖先を還す。大地に古墳、墳丘墓、例えば壺型(つぼがた)の前方後円墳も子宮を象ったので在ろう。目的は家運、国運等が盛んに成りて、子々孫々迄も繁栄する事に在り、決して個人に関するものでは無い。「生みだす力」が備わり、やがて、新たなものが絶えず遣って来る場所でも在ると。聖徳太子に依り「道教」入れられ、天皇の墓は八角形と為った。古墳の原形はピラミッド型、方形で表面に葺石(ふきいし)が張られ、周囲には水濠が巡らされ、光り輝いて居た。現在も天皇陵、昭和天皇稜は神仙思想、風水も取り入れられて居る。(上代)
               其の12、に続く。
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