『京町家』のお話。其の⑲ 「千木と勝男木と棟持柱」。

 竪穴式(たてあなしき)住居、太古(たいこ)より住まい、目にも身体(からだ)に染(し)み付き、心に染(し)み付き幾世(いくよ)に伝統様式が伝(つた)う。
 縄文(じょうもん)よりの竪穴式住居は垂木(たるき)構造の伏(ふせ)屋根を架(か)けるが、三和土(たたき)の庭(にわ)と称(しょう)する生活土間の中央に「囲炉裏(いろり)」が在り、中程(なかほど)の四方に支柱が四本立ち、先端に梁と桁が掛かる。楕円(だえん)の土手堤(どてつつみ)より太い垂木を立て掛け一周する、両妻側に三脚を据えて、二本は交叉(こうさ)して棟木(むなぎ)が頂上に載(の)せられる。天辺(てっぺん)の棟木には桁からも細い垂木が二段も掛けられ両妻は切妻(きりづま)屋根とし煙抜きと為(な)る。もう一本は其(そ)の妻側に斜(なな)めに棟木を支える様に三脚が立つ。此の一本の支柱が格式高い「棟持柱(むねもちばしら)」の原型で在る。鳥居(とりい)の原型かも知れ無い。外(ほか)の棟木を支える為(ため)の、二本の斜めの支柱が更(さら)に伸び、天を突く様に交叉(こうさ)したものが、此れが格式高く、天を突き清める「千木(ちぎ)」で在る。千木と千木の間の棟木上に飾(かざ)りの横木が6~7ケ載(の)せられて居るのが「勝男木(かつおぎ)」と呼(よ)びて、棟木の上に覆(おお)う屋根材を固定するもので在るが鰹節(かつおぶし)が載(の)って居る様に観えたので(目出度(めでた)い)「勝男木」と呼んだと言う説が有力で在る。地方豪族、支配者等は競(きそ)って館(やかた)の門に邪気の侵入を防(ふせ)ぐ「鳥居」と共に「千木」や「勝男木」を載せた。(上代)
           今日も一日、全力投球。