『京町家』のお話。其の⑳ 「江戸時代の民家(農家)とは」。 

 「京町家」を調べるには、やはり、江戸時代の民家(農家)を知る必要も在る。奈良の大和民族公園に博物館が在り、9軒11棟が移築展示して在ります。神戸市の千年住宅、箱木家(はごぎけ)(室町時代後期、15世紀)較(くら)べますと、明らかに同じ形態を現(あらわ)して居ます。箱木家は正(まさ)に民家の原型で在る。「京町家」と連係(れんけい)す。
 玄関を入ると庭(にわ)と呼(よ)ぶ三和土(たたき)が続く、右には馬屋跡。奥に入ると作業が出来る三和土が広がる。中程(なかほど)にカマドが在り奥正面には棚類が並(なら)ぶ。手前壁際に流(なが)し(はしり)が在り、其(そ)の排水は外(そと)に埋(う)めた水甕(みずがめ)で溜(た)められて雨水受けの浅い周溝(しゅうこう)が巡(めぐ)る。左の居室(きょしつ)側には「だいどこ」と呼ぶ板の間が出っ張り、其(そ)の奥は納戸(なんど)と呼ぶ寝室に続く。玄関寄りには部室が在り、見世(みせ)と呼ぶ前室(店の語源)奥には奥の間、座敷が在り、座敷には表の顔、縁側(えんがわ)も必ず付きます。屋根は藁葺(わらぶき)の入母屋です。三和土(たたき)は「京町家」では「通り庭(とおりにわ)」と称(しょう)す。
 幕末近くに為(な)るとカマド上部の吹き抜けは、防火の為(ため)の土塗籠壁(つちぬりこめかべ)にされ、煙抜(けむりぬ)きは小さく為り其れは「火袋(ひぶくろ)」です。「京町家」の火袋防火の概念(がいねん)が伝わったのか。座敷、居室には江戸時代後半に畳が敷かれる様に成った。(上代)
             夢を実現する事が大事で在る。