『京町家』のお話。その⑱ 「竪穴式住居」とは、何ぞや。

 竪穴式(たてあなしき)住居とは、北方の大陸で生まれ、マンモスを追い南下し日本列島に渡(わたり)り形成したもので在ろう。一言で言うと日本の住まいの原点で在る。台地に鋤(すき)で掘下げ、石器に柄(え)が付いた、神々の力が加(くわ)わると信じられた道具、「鍬(くわ)」(加えるから鍬)に依り、出た土で堤(つつみ)を円形に巡(めぐ)らし土手(どて)を築き、其(そ)の上に伏(ふせ)屋根を架(か)ける。垂木(たるき)構造で茅(かや)等の草葺屋根。「囲炉裏(いろり)」を囲(かこ)みて、屋根に煙り抜きを設(もう)けた。
 縄文(じょうもん)時代(紀元前一万一千~前五百年)前期では円形で在ったが後期に入ると楕円形(だえんけい)と成り、煙り抜きを双方(そうほう)に設けると自(おの)ずと屋根の形が現在に伝(つた)う藁葺(わらぶき)屋根で、其のまま地面に伏せたもの。竪穴式住居が進化したもので在る。
 竪穴式住居は土を載(の)せた居た「伏屋根竪穴住居」や「伏屋根堤(つつみ)式竪穴住居」「二段伏屋根式竪穴住居」平地型「周提(しゅうてい)(土塁(どるい))式平地住居」「壁立(へきりつ)式平地住居」が在り、弥生(やよい)時代(前400~後300年)後期に入ると平地式に代(かわ)る。
 床面に主柱を四本立て梁(はり)と桁(けた)を架け、長手方向芯に二組の三脚柱を掛ける。其(そ)の頂上に棟木(むなぎ)を、太目の垂木(たるき)を土と桁梁に立て掛け一周、上部屋根にも配(くば)る。此の三脚が、天を突き清める「千木(ちぎ)」と、格式の「棟持柱(むなもちばしら)」に成る。(上代)
           他人に求める心は、己が到らぬ反映か。