『謎に迫れるか、「平安遷都造営」のお話』 其の27

 1177年、平安京は大火に包まれる。大極殿を含め大内裏も焼き尽くした。民家の消失は二万戸を越え、以後二度と再び大内裏、大極殿は再建される事は無かった。事実上、平安京は一旦滅亡す。釈迦の死後、二千年を経ると仏を供養しても救われ無いと言う、末法(まっぽう)思想はびこる。やがて、阿弥陀如来が現れ世は救われると言う。1233年、東寺は運慶(うんえい)等に依りて再建されるが、平安京の荒れた西側で只一つ聳(そびえ)え立つ西寺の五重塔、炎上す。二度と再建され無かった。
 密教の教えに拠りて、現在の宗派等、鎌倉新仏教、台頭す。平安京に於き、僧や貴族等に思想教育(価値観創造、概念化、表現力等)為されたと言える。
 話は、弥生時代(紀元前400年~後300年)後期、150年頃に戻り、遡(さかのぼ)る。日本は100余りの国に分かれ(魏志倭人伝より)争う『倭国大乱(わこくたいらん)』と伝う。「卑弥呼」現れて治まったと言われるが、祭祀権(さいしけん)持つ「出雲の国」と卑弥呼を擁する「大和政権」が分かれて争い、大和政権の軍門に下りて祭祀権奪わる。其の「出雲の国」に高さ60㍍にも及ぶ「空中神殿」在り、支え持ち上げる三本束ね巨木の柱列を『御柱(おんばしら)』と呼び、天上と人が通ず。(上代)
               其の28、に続く。
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