『謎に迫れるか、「平安遷都造営」のお話』 其の26

 平安京は49代桓武天皇に依りて開かれ794年遷都。809年、実質的に継いだ51代嵯峨天皇即位。伊勢神宮(宮室)に籠(こも)り天皇祖神に仕える為「斎宮(さいくう)」の未婚皇女、を送った。弥生時代末期の卑弥呼以来の祭祀(さいし)に由来し、長い間廃(すた)れて居たが、第39代天武天皇より「斎宮」を復活、娘の大伯皇女(おおくにのひめみこ)を送って仕えさせた。
 嵯峨天皇は王城鎮護「賀茂社」へも、伊勢神宮に準じて次の皇女を『斎王』として仕えさせた。是(これ)が今に伝わる、葵祭「斎王代行列」の起源で在る。何故、賀茂社が伊勢神宮に準ずるかと言うと、仔細は解らぬが壬申の乱、決起落ち延びて居た吉野より伊勢を通り大津京近江に入る天武帝、道案内す。両賀茂社、許され現在の場所に鎮座する。桓武天皇に依りて伊勢神宮に準ず。
 伊勢神宮に準じた「賀茂社」へも『御杣山(みそまやま)』より「御神木」が伐り出され、遷宮用材が、嵯峨天皇の皇女が仕える(宮室)の為、お木曳『木遣り唄』と伴に賀茂社境内に運び込まれた。斎王は間もなく亡くなり次の皇女も仕える。
 東寺の五重塔、巨木の心柱が東山より朝廷の協力も仰(あお)ぎて、お木曳衆(おきびきしゅう)も動員され、此の「木遣り唄」こそ、歌い継がれ『木遣り音頭』と成る。(上代)
               其の27、に続く。
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