『羅城門とは何か、其の⑥』 平安京は唐の都を真似て造られ、広さは半分位だと言われ唐の都に羅城門が在った。平安京の羅城門は正面30丈6尺32m、奥行の幅は2尺6尺の8mと狭い。「羅城」とは都の城壁、都城の正面で唐の都に習った砦の凱旋門でも在り正面幅と高さの割に奥行が浅く安定が悪い、大風で二度も倒壊して居る。平安京の羅城門は朱塗りの円柱で瓦葺二階重層楼閣で七間五戸の門、朱雀大路に面する大内裏の正面は朱雀門で応天門と同様の五間三戸の門、朱雀大路に面する大内裏の正面は朱雀門で応天門と同様の五間三戸で在った。羅城門と朱雀門とは別物。
軒瓦と棟瓦は緑釉瓦で縁取られ平瓦は緑釉では在りません。鴟尾や鬼瓦も緑釉で一部は三彩の技法で在ると出土した瓦から分かる。決して金箔瓦では在りません。太極殿は東西11間(約53m)、南北5間(約21m)の巨大な建物で在ったと推測されて居る。現在、岡崎に在る平安神宮の拝殿は、遷都千百年を記念して、此の太極殿を八分の五に縮小して復元したもの。
桓武天皇が中央の高御座に座し平安京で最初の朝賀を受けたのは796年、正月で在った天皇が座し鴟尾煌く。鴟尾も緑釉で輝き金箔瓦は秀吉の時代。平安京は金箔では無く鴟尾は緑釉三彩で在った。唐の国は907年滅亡。(上代)
「本気がどうかで、あろうか」