『羅城門とは何か、その⑤』

 『羅城門とは何か、その⑤』 其れでは何故、平安京の中心に羅城門、朱雀門大内裏での朝賀の太極殿、朝堂院、応天門や朱雀大路は廃れたのか。古代中国、紀元前2000年より夏の朝賀の儀が伝わって平安京でも代々行われて来たが廃止に為った。遣唐使船廃止は菅原道真公の進言により決まる。理由は道教により唐が滅ぼされたも同然で在ろう。中国では仏教を道教が吸収した。日本は情報を得て居て、空海よりの考え教えで道教思想を神道が逆に吸収し、孔子の教え朱子学等は吸収したが儒教は排斥した道教然り。
 末法思想では、世は乱れ天変地異が多く起ると言う。武士や僧兵が現れて、末法の到来を現実に受け止めさせた。末法思想は釈迦の死後、1000年~2000年の間の仏の加護が受けられなく為ると思われ末法思想は蔓延る。
 内裏は別居所、現在の御所に移ったままで980年に羅城門が倒壊し放置、大内裏は後を追うように同年に焼失して二度と立て替えられる事が無かった。日本文化は成熟して貴族の主体社会が終わりを告げた。見えない世界から、阿弥陀如来が救いに来る。写真は平安神宮応天門、奥に太極殿を望む。(上代)
「要するに、優先順位と一つ一つの積み重ね」