『羅城門とは何か、其の⑦』

 『羅城門とは何か、其の⑦』 894年、菅原道真は遣唐使派遣中止を上奏。907年、唐は滅亡し中国は五代十国時代に入る。936年、高麗が朝鮮半島を統一。960、980年、平安京大内裏炎上し同年、羅城門も大風により倒壊。平安京大内裏と羅城門が二度も焼失と倒壊し、どちらも三度目は再建されず。
 古代中国は紀元前2070年、青銅の発見により夏の国が興り朝賀の儀も起こった。青銅剣の製造法は秘密にされて、当時中国に四つ位国が興ったが、他は全て滅亡し朝賀の儀の有効性も証明される。紀元前1600年、夏も又、滅亡して殷に代わる。殷ではピラミッド型王墓が造られた。地下に石棺二つ、宝物棺、其の下に黄泉の国を現す埋められた畑が広がる。此のピラミッド型葺石の墳丘墓が日本に伝わり前250年頃から造られ始めた。前1046年、殷は滅んで周の国興る。前500年頃には鉄器、武器の鉄剣が造られ始め戦国時代に突入。多彩な文化が花開いた春秋時代の周は滅亡。永く国が栄続く祭事では確かに朝賀の儀は有効で在った。古代中国より齎された国造を日本は見習って来たが、唐が滅亡した事により太極殿、朝堂院、応天門での朝賀の儀も必要なく平安中期には日本独自祭事に移った。(上代)
           「夢では無く、本気が大事」