『羅城門とは何か、其の④』

 『羅城門とは何か、其の④』 平安京の羅城門の遺構は見当たりません。平安中期980年の一千年余り前に大風により倒壊。今ではよく解りません。
 其れで、どの様に羅城門を調べれば良いのでしょうか例えば、岡崎の平安神宮は明治28年(1895年)の平安遷都千百年をも記念して第四回内国勧業博覧会が京都で開催され、平安京内裏太極殿を復元によって再建すると言う、平安神宮構想に依り平安神宮は完成しました。要するに、京都の幕府直轄地、岡崎に於いて近代国家として、平安京の太極殿と応天門を復元、再建し平安神宮が明治に造られました。太極殿が拝殿に応天門は表玄関と成り完成した。
 当時、まだ東京帝国大学の院生だった伊東忠太のデビュー作で在り平安京、内裏太極殿と応天門を復元する平安神宮創建時の9枚の構想大型図面が平安神宮に残されて居る。伊東は帝国大学の名誉教授となり「建築巨人」と称す。近代建築史を飾る貴重な作品例として平安京太極殿と応天門は復元し、再建され平安神宮は明治に造られ今に、過去の平安京の復元、応天門も見られる。
 平安京表門、羅城門と内裏の応天文とは違いますが、同列に語る事は出来、羅城門の「七間五戸」は応天門の「五間三戸」で共通点から考える。(上代)
             「優先順位が一番だいじな事で在る」