『我が社の事務所に掲(かか)げて居る宝物の絵画、写真、色紙(しきし)等』 吟友(ぎんゆう)の画家で友人の贈(おく)って呉(く)れたエッチング、倫友(りんゆう)や同級生で住職の色紙等々(とうとう)も宝物で在る。先日の女優「杉田かおる」来社時に沢山撮(たくさんと)って貰(もら)った記念写真も宝物。
私の事務所に掲(かか)げて居る写真に「尊皇攘夷志士(そんのうじょういしし)、四十六人像(ぞう)」と題された、幕末(ばくまつ)の写真コピーが在る。七条堀川角(かど)の興正寺(こうしょうじ)、興正会館に掲げて在ったものをお願いして頂(いただ)いて来たもので、幕末の英傑達(えいけつたち)が一堂に会(かい)した長崎の有名な写真家で、上野彦馬(うえのひこま)撮影と記入さる慶応元年(1865年)二月と記(しる)す。
然(しか)し、薩長同盟(さっちょうどうめい)は翌年(よくねん)で在り疑問も残る。元年では二月に高杉晋作らが下関に挙兵、藩政を掌握(しょうあく)したに過(す)ぎない。前年元冶元年(1864年)八月に幕府、長州藩の征討(せいとう)を命令(第一次長州征伐(せいばつ))同八月、米英仏蘭の四国艦隊、下関を攻撃。どう見ても、薩長同盟前ではどう考えても腑(ふ)に落ちない。
写真その物は学校の教科書に載(の)っている有名な写真で、年代の間違いか。西郷隆盛は本物か、勝海舟や岩倉具視は咸臨丸で渡米した居りサンフランシスコで撮影した記念写真在り、桂小五郎も明治5年の写真も残され似(に)ては居る。坂本竜馬は似ているか、高杉晋作は実在写真と似てないのか。(上代)
実は「信じるとは、観える事で在る」