「木遣り研究 其の⑤ 聖徳太子と大工道具」

 「木遣(きや)り研究 其(そ)の⑤ 聖徳太子(しょうとくたいし)と大工道具」 国宝の千本釈迦堂(しゃかどう)(1227)境内(けいだい)、太子堂聖徳太子(たいしどうしょうとくたいし)様は左手に柄香炉(えごうろ)を持たれて居る古い形の木像です。
 小生(しょうせい)は最初に太子(たいし)が持たれる柄香炉を見て咄嗟(とっさ)に墨壺(すみつぼ)の原型ではないか、と考え今の大工道具の糸車墨壺の原型かと想い直観する。墨壺に綿(わた)を入れ、墨(すみ)が零(こぼ)れ難(にく)くなるのがミソ。後日に、香木(こうぼく)で御香(おごう)を振り撒(ま)く柄香炉で在ると解(わか)った。又、広隆寺の聖徳太子も柄香炉(えごうろ)を左手に持たれる。墨壺(すみつぼ)と原始的な、竹墨挿(すみさし)を考案されて居ても不思議ではない。差し金(矩尺(かねじゃく))と墨挿(すみさし)はセット。
 今の墨壺(すみつぼ)との原形は鎌倉時代(1192~1335)初頭の奈良、東大寺南大門屋根裏から発見されたものが最古と言う。次は因(ちな)みに木葉(このは)型小形の鋸(のこぎり)は飛鳥(あすか)時代、既(すで)に(538~709)普及(ふきゅう)して居た。台鉋(だいかんな)は桃山時代(1573~1615)考案(こうあん)されやっと普及。『遣り鉋(やりがんな)と釿(ちょうな)』は古く、弥生(やよい)の紀元前後の佐賀県吉野ヶ里(よしのがり)遺跡から出土。石器で太古(たいこ)の釿(ちょうな)が最初の伐採(ばっさい)道具で後に土も掘る鍬(くわ)は縄文(じょうもん)時代。卑弥呼の時代(約200~260年)に入ると石器の道具は姿を消し鉄器が普及する。
 又、丸太の製材で貴重な板にする縦引(たてび)き鋸(のこぎり)は室町中期(1387~1572)普及。何故(なぜ)(わ)かるのかと言うと、例(たと)えば広重(ひろしげ)、東海道五十三次中にも描(えが)かれる。(上代)
          「良い習慣は才能を超える」