『祖霊信仰と朝廷は中国最古の王朝「夏」より生じた』

 『祖霊信仰(それいしんこう)と朝廷(ちょうてい)は中国最古の王朝(おうちょう)「夏(か)」より生じた』 紀元前2070年、古代中国最古の王朝(おうちょう)「夏(か)」が成立。青銅(せいどう)が伝わり青銅剣は造られた、人を制(せい)した。(青銅は銅が90%、錫(すず)が10%の合金(ごうきん)で在る)青銅剣を造った青年が初代の王に就(つ)いたと言う。国を治(おさ)める為(ため)、初めて神(かみ)では無く王を神としてたらしめた。宮殿の太極殿(だいごくでん)に早朝、下げられる「朝廷(ちょうてい)」と呼(よ)ぶ広場に役人(やくにん)(すべ)てが近隣(きんりん)住人代表も含(ふく)め並(なら)びたもうてひれ伏(ふ)す。此(こ)の有様(ありさま)を朝廷(ちょうてい)と呼(よ)ぶ。近代中国や日本でも平安時代迄(まで)、国を治(おさ)める為(ため)に行われて居た。「夏(か)」によりて今に至(いた)る「祖霊信仰(それいしんこう)」の始まりで在る。民(たみ)を治(おさ)める方策(ほうさく)として朝廷(ちょうてい)が考案され有効に機能した。「夏(か)」の当時、他に八か所位(くらい)の国は在ったが全(すべ)て、反乱(はんらん)等により滅亡(めつぼう)する。(祖霊信仰は王を神とし「朝廷」にて膝(ひざ)まづく権威(けんい)等により王は神として支配する習(なら)わし)は極(きわ)めて効果的だったと言う。先日も幻(まぼろし)の夏の都が地中より発見される。「史記(しき)」に記(しる)されて居る通りで在った。
 最初の王朝が「夏」で、次に同1600年「殷(いん)」に滅(ほろ)ぼされ取って替わる。「殷」では王の墓としてピラミッドも造られた。殷(いん)の次は同1046年「周(しゅう)」です。やがて同紀元前の500年、鉄が伝わり戦国時代に突入する。(上代)
           歴史を遡(さかのぼ)れば解(わ)かる。