『果(はた)たして木遣(きや)り音頭(おんど)は、和歌(わか)の部類に入いるのか』 木遣(きや)り音頭(おんど)に付いて、和歌(わか)を護(まも)りし冷泉家(れいぜいけ)の古文書に此の様に記(しる)されて居る。『和歌の目出度(めでた)いものは木遣り音頭に成った』と、言う下(くだ)りで在る。和歌と木遣り音頭は、どう言う関係に在るのか。神々の美しさ、詰(つ)まり大自然、自然現象の美しさを讃(たた)える言葉が和歌の原型と成る。「祝詞(のりと)」も又、元々(もともと)は皆々が神々への願いを口遊(くちづさ)んで居たものを縄文(じょうもん)時代、神殿の掘立柱(ほったてばしら)式祭殿建築は建てられ祝詞を神官は唱(とな)える。又、木遣り音頭は『木曳(きび)き音頭』が変化したもので平安時代より寺院建築時歌い継(つ)がれて来る。(当時、嵯峨(さが)天皇より空海(くうかい)に東寺が任(まか)され東山より用材の大木(たいぼく)を伐(き)り出す。苦労して曳(ひ)き出すが手に負(お)えず天皇を通じ木曳(きび)き衆(しゅう)にもお願い奉(たてまつ)り五重ノ塔の心柱(しんばしら)等大木を境内(けいだい)に木曳(きび)き音頭と伴(とも)に曳(ひ)き入れるが、五重ノ塔は空海の存命(ぞんめい)中叶(かな)わず稲荷神社の御神木(ごしんぼく)を伐(き)ったと問題発生、50年後に漸(ようや)く完成した。)当時を顧(かえり)み木曳き音頭と伴に境内(けいだい)の五重ノ塔心柱を起(お)こし上棟式(じょうとうしき)にも木曳き音頭を唱(うた)った。以後、寺院建築時に於(お)いて唱(うた)われ続ける。大木を皆で曳く、力を合わす為(ため)に掛声(かけごえ)と音頭を取って。建てる喜(よろこ)びと祈(いの)りを籠(こ)め皆で唱(うた)う、木遣り音頭も和歌から発(はっ)したか。(上代)
「断舎利」の考え方は使える。