『太古の律令制下、出雲の国のお話』

 『太(たいこ)古の律令制下(りつりょうせいか)、出雲(いづも)の国のお話』 先日盆休みに東山の京都国立博物館へ家内と二人で大出雲展(だいいづもてん)へ出向(でむ)いて来た。興味深い古代出雲の歴史で在る。特に神庭(かんば)、荒神谷(こうじんだに)遺跡に観(み)る祭祀(さいし)用の青銅剣等多数358本が綺麗(きれい)に並(なら)べて葬(ほうむ)り埋(うめ)られて居る。鋳造(ちゅうぞう)年代は調べで200年。200年から古代出雲の国が卑弥呼(ひみこ)(よう)する大和(やまと)の国の軍門(ぐんもん)に下(くだ)ったと考えられる。国譲(くにゆず)りと言われる。
 倭(わ)の国、150~200年に魏志倭人伝(ぎしわじんでん)で100余りの国が在りて二つの国に分(わ)かれ争(あらそ)う倭国大乱(わこくたいらん)が在り238年に卑弥呼(ひみこ)、魏(ぎ)へ使者を送(おく)ると在る。
 私の興味を惹(ひ)いたのは力士の埴輪(はにわ)で在る。相撲(すもう)の開祖(かいそ)と言われ、人物埴輪(はにわ)の制作を余(あま)りの悲惨(ひさん)さに力士、野見宿禰(のみのすくね)が代(か)わりに人型の埴輪を立てる事を提言(ていげん)する。相撲発祥(すもうはっしょう)の地は奈良県桜井市穴師(あなし)に在った。其(そ)れ迄(まで)の古墳(こふん)では、中腹(ちゅうふく)に亡くなった天皇等の近習者を尽(ことごと)く葬列(そうれつ)状に腰まで生き埋(う)めにして弔(とむら)った。出雲の野見宿禰は人型埴輪に替えればと遂(つい)に300年、11代垂仁(すいにん)天皇(290~307年)の皇后で日葉酢姫(ひばすひめ)の稜墓(りょうぼ)(奈良市)から始まった。
 因(ちな)みに当時の相撲は足蹴(あしげ)りも可能で足首に八方突起(とっき)の在る殺傷能力の在る鉄の足輪を着(つ)けて死闘(しとう)を繰(く)り拡(ひろ)げて居たと言う。力士の埴輪には在る。(上代)
           「試練を与えられて居るのか」