『神の声を聴いたのか』

 『神(かみ)の声を聴(き)いたのか』 先日、水曜日に催(もよお)した京都市南、倫理経営講演会の懇親会(こんしんかい)のオープニングに御呼(およ)びした弓道(きゅうどう)の先生、正装(せいそう)の山口氏、暗転(あんてん)す儀式の二矢(にや)を放(はな)って頂きて圧倒(あっとう)された。其(そ)の発(はっ)する掛声(かけごえ)の凄(すご)さに此(こ)の世(よ)のものとは想えぬ程(ほど)、広い宴会場に響き渡った。正(まさ)しく神(かみ)の発する声で在ろう。
 其(そ)の一週間後に又も、私は六地蔵近郊の小川沿(ぞ)い、土手(どて)の上から同様の神(かみ)の声を聴(き)いた。聞き覚(おぼ)えの在る声楽家の女の先生の笑い声で在った。此の世の声とは想えぬ程に響き渡る。夕方の清々(すがすが)しい開(ひら)けた屋外にて「神の声」を聴いたので在る。其(そ)の先生とは一年以上も前に声のクセが直(なお)らないので「お休(やす)みしなさい」と辞(や)めさせられた。殆(ほとん)どの事は教(おそ)わった。最近、漸(ようや)く其(そ)のクセも取れる。小生(しょうせい)、子供時より何故(なぜ)か発声を追求し止(や)みません。彼(あ)の響きは何か正確なビブラートの様でも在り、正確なビブラートが神の声に近いのか。其処(そこ)に止(とど)まらず拡(ひろ)がりて上昇、天上(てんじょう)を目指(めざ)す。ビブラートと小節(こぶし)は同じです。どちらも音階の階段を駆(か)け上がり上向きで在る。口腔外(こうくうがい)発声でも在る。胸を持ちあげる事が大事。ドップラー効果も使う。唇(くちびる)から鼻空(びくう)に声を響かし頭蓋骨(ずがいこつ)に響かすと言う。イメージの世界では在るが振動数は観(み)える。(上代)
           「発顕還元(はっけんかんげん)」又、出せば入って来る。