『己(おのれ)の「神(しん)」を養(やしな)うとは何か、気(き)を養うとは何か。』 神(しん)とは生命力の事で在ろうか。先日まで「誠(まこと)の発露(はつろ)だと想って居た。小生(しょうせい)、マッサージ店に通(かよ)って、肩の奥が気になりマッサージを受けて居ります。女性ばかりのマッサージ店で入れ替わり立ち替わり揉(も)んで貰(もら)って居ります。此れも良くて、マッサージは奥が深いもので色んな事も解(わか)かるそうです。私も気付くのは、揉(も)み解(ほぐ)すと何か「生命力」と言えるものが体内から沸々(ふつふつ)と湧(わ)き出るものを感じる。新陳代謝(しんちんたいしゃ)が活発に成ったのか。身体(からだ)の奥底から「生命力」を感じるので在る。其(そ)の「生命力」を感じて「気力」と同調(どうちょう)すると凄(すご)い「意欲(いよく)」と為(な)るので在る。
「生命力」と言うものは先(ま)ず身体から湧(わ)き出るものと想う。其(そ)れが魂(たましい)と言うものと同調して沸(わ)き上がって「気力」と感じ得る。先日も肩の奥を揉(も)んで貰(もら)って強く感じた。何か身体の生命力を感じるのです。其(そ)れが気力と相(あい)まってエネルギーの迸(ほとばし)りを感じる。必ず実現すると意欲の行動計画を直観、直(す)ぐ動く衝動(しょうどう)に駆(か)られるのです。生命力とは身体の奥底からの気力で在ろうか。
人は成功を得(う)る為(ため)に生きる。己(おのれ)を活(い)かすべく「生命力」を引き出すに主眼(しゅがん)を置けば身体(からだ)の生命力「神(しん)」と「気力」を養(やしな)いて合(あ)わせるのが一番。(上代)
「神(しん)」とは生命力で在ろう。