「人は無意識の内に、何の為(ため)に生きて居るのかと考える」

「人は無意識の内に、何の為(ため)に生きて居るのかと考える」 人間は考える葦(あし)で在る。(パスカル)誰(だれ)しも何の為(ため)に生きて居るのかと考える。小生(しょうせい)、漸(ようや)く答えが出ました。『人は己(おのれ)の成りたい自分に成る為(ため)、生きて居る』反論(はんろん)が在るだろうか。何故(なぜ)なら私は其(そ)うだからで在る。私は、自分の成りたい自分に向かって生きて居るが、如何(どう)しても文章を書ける必要も在った。楽しく世の中を生きて行く上で必要を感じる。現在63歳で60歳から第二の人生も始まって居ります。子供の頃(ころ)より仕事は55迄(まで)と考えて、実際55歳以後は半分リタイアして居ります。何を始めたかと言うと、文章家に成りたくて短文を一心不乱(いっしんふらん)に書いて来ました。美しい文章を追求(ついきゅう)して居ります。文章の何がそんなに面白(おもしろ)いかと言えば、想った事を想った様に書き留(と)められるからで在る。
自分のレールが観(み)えて、53歳から書き創(はじ)め10年経(た)ちました。10年も書いて居ると多少(たしょう)、腕(うで)も上がります。生きて居る証(あかし)として夢の実現、文章の何が面白いのかと言えば、美しい文章の追求で未(いま)だ解(わか)りませんが「人は成りたい自分に成る為(ため)に生きて居る」思った通(とお)りに書けるから、美しい文章を書きたかったから。想った事は言い難(にく)いが想った事は直(す)ぐに書けます。(上代)
「漸(ようや)く答が出ました」