「自立して主体的に生きるとは何か」

 「自立して主体的に生きるとは何か。」 楽しいとは、主体的に生きる事で在り己(おのれ)の成(な)りたい自分に為(な)る事で在る。『信(しん)』とは時折(ときおり)、不信の中、彷徨(さまよ)いて見失(みうしな)い易(やす)いもので在るが、決して欺(あざむ)かない、疑(うたが)わない事だと念(ねん)じて行い、内なる無限の力(ちから)としての『信』を培(つちか)い、喜(よろこ)んで生きる力(ちから)を養(やしな)わんと欲(ほっ)す。
 主体的に生きるとは、己(おのれ)の質(たち)を活かす事でも在ろう。己の質とは両親より受け継(つ)いだものかも知れない。祖先よりの使命(しめい)かも知れない。又、突然、成(な)すべき事に出会うかも知れない。只然(ただしか)し、己が成すべき夢も在るだろうし、花を咲かせ無ければ為(な)らない事も在る。見付ける方法として第一に、疑問(ぎもん)を明らかにして行く方法。第二に好きな事を極(きわ)めて行く方法、第三には、家業の継承(けいしょう)の中にも在るだろう。人、其(そ)れぞれの出会いも在り、運命的にも、時の移り行きの中に己の成すべきものとして決心すべき時も来よう。楽しい事を続けてより楽しいものへと磨(みが)いて行く事か。夢の実現に在るのでしょう。
 『目標を立てて、挑戦する事に在る』に尽(つ)きる。主体的に生きるとは楽しい事で在り、自立して居る事に外(ほか)ならぬ。要するに目的の、成りたい自分に成るか為(な)らぬかで在ろう。『成りたい自分に成る為(ため)に人は生きて居る』(上代)
           己(おのれ)の『信』を養い、喜んで生きる力を蓄(たくわ)える。