人の尤(もっと)も大切なものは『信(しん)』だと想(おも)える。

人の尤(もっと)も大切なものは『信(しん)』だと想(おも)える。 人が生きて行く上で、最(もっと)も大切な事は『信』だと想う。小生(しょうせい)、今迄(いままで)63年間、歩(あゆ)んで顧(かえり)み反省(はんせい)を加(くわ)え、集大成と検証(けんしょう)すれば、つくづく『信』が大切だと深く感じ今、恩恵(おんけい)に与(あず)る。
『信(しん)』とは何か。己(おのれ)を信じ、人を信じる事で在ろう。全(すべ)ては其処(そこ)から始まり其処(そこ)へ行き着く。人が信じられ無くなる程(ほど)、不幸な事はない。信じられてこそ、思いっ切り表現も出来、互(たが)いに伝えられて又、元気も頂(いただ)く事も出来ます。
『信』とは時折(ときおり)、不信の中、彷徨(さまよ)いて見失(みうしな)い易(やす)いもので在るが、決して欺(あざむ)か無い疑(うたが)わ無い事だと念(ねん)じて行い、内なる無限の力(ちから)としての『信』を培(つちか)い、喜(よろこ)んで生きる力を養(やしな)わんと欲(ほっ)す。全(まった)く以(もっ)て、信じないと碌(ろく)な事が無い。
『信』じては、己(おのれ)が傷付(きづつ)いても大(たい)した事は無い。其(そ)れよりも、信じた事に依り、得たものは遥(はる)かに大きくて多いと実感する。確(たし)かに、内なる力としての無限の力として『信』を培(つちか)えば、喜んで生きる生命力も自信も与(あた)えられると確信する。決して欺(あざむ)か無い、決して疑(うたが)わ無いと念(ねん)じて生きて行く。
(そ)の「信念」は、必ず伝わり天が其(そ)れを望んで居るのかの如(ごと)く養(やしな)われ、喜んで生きる力へと為(な)り、内なる無限の力と為り炎(ほのお)を燃え立たせる。(上代)

お粗末な経験からでは無く、歴史から学ぶ。