北山型茅葺(かやぶき)住居を調査、拝見させて頂き悠久(ゆうきゅう)の歴史を想(おも)う。 日本列島は遥(はる)か縄文(じょうもん)(紀元前一万一千年)より竪穴式(たてあなしき)住居で在(あ)ったと言う。先日も最古黎明期(れいめいき)の竪穴住居が出土(しゅつど)。竪穴式の原型、丸太組にマンモスの毛皮の円錐(えんすい)テント、オープンサイト仮住居の出現は数千年遡(さかのぼ)ると言う。ハッキリ言って、伝統の茅葺(かやぶき)屋根は太古よりの竪穴式住居の屋根が持ち上がったもの。
竪穴式住居は四方にトリイを組み、長(なが)て方向に三脚を対(つい)に立て頂上に棟木(むなぎ)を架(か)け、土間を少し掘り下げ周囲に盛り土、其処(そこ)から屋根下地二段の連(れん)丸太が棟木へ斜めに掛かり巡(めぐ)る。草葺(くさぶ)き入母屋形と為(な)り、煙り抜きの切妻(きりづま)が付く。
紀元前400年弥生(やよい)時代、古代中国の戦国時代に日本を目指し多数渡来(とらい)す。大陸より鉄器等伝わり、水稲(すいとう)も普及し食料に余剰(よじょう)が生じ支配者層も生じた。支配者は今迄(いままで)の土間に敷物の生活から土を嫌い多量の板で造った高床住居に住まう様に為(な)った。堀立柱(ほったてばしら)高床式祭殿建築様式で在り、後(のち)の神社建築と為る。
平安中期頃より竪穴式住居は屋根が内法高(うちのりだか)さ迄、持ち上がり柱が立ち土壁に包まれる大壁が取り囲む。南側の正面入り口部は招(まね)き入れの表情を見せた。
三和土(たたき)の土間が半分で残りが板張りの床。庶民も床上(ゆかうえ)生活へと移る。(上代)
『出会いに感謝』