『希求するのは、争いの無い世界で在る。』

 『希求(ききゅう)するのは、争(あらそ)いの無い世界で在る。』 縄文(じょうもん)時代には争(あらそ)いが無かったと言う。何故(なぜ)、争いが無かったのか、要因(よういん)を整理して、突き詰めると此の、貯蔵穴(ちょぞうけつ)に突き当たる。此の貯蔵穴が争いの元、収奪(しゅうだつ)を避(さ)けたのではないか。
 縄文時代(紀元前一万一千~前500年)人々は部族ごとに、小山を利用した「環状(かんじょう)集落」に暮(く)らし、中央の頂上に墓を集め、裾野(すその)に環状の竪穴式(たてあなしき)住居が取り囲(かこ)む。其(そ)して、墓域(ぼいき)の中心から各戸の対角線の間には各戸の食糧が保存される各貯蔵穴が設(もう)けられた。此れが、環状集落での基本形態で在る。
 大きさは直径が焼く2.1㍍で、深さ1.3㍍で在った。当時、食料の入手は不安定で冬に備(そな)え地面に掘った穴に秋に集めた主食のドングリ、木の実等を貯蔵した。何故(なぜ)、争いが少なかったのか。此の貯蔵穴は集落共有でも在り、食料不足時には分け与(あた)え、収奪にも備え対角線上の場所はずらされ解り難(にく)くされて居た。外敵に襲(おそ)われた場合には逃(に)げて、近隣の集落の応援を頼(たの)んだ。
 三和(さんわ)と呼(よ)ぶ連係プレイは太古より共同してマンモスを獲(と)る後期旧石器時代(前三万~前一万一千年)に培(つちか)われる。移動するので丸太にマンモスの毛皮テントで竪穴式の原型。後から来た者が使うオープンサイトで在った。(上代)
           亦(また)、突破口が見つかった。