倫理(りんり)の意義は積極さに在る。先(ま)ずは徳(とく)を積む事で在ろうか、役に立って居るか其処(そこ)に気付きも。徳を積む事から始めて、奇異(きい)に映(うつ)る様な事も、出来るかどうかに掛(か)かって居る。例(たと)えば、朝、自宅事務所前の道路左右、国道まで箒(ほうき)と塵取(ちりと)りを持って掃除をして居ますが、最初は奇異にも映るだろうなと感じつつ、もう三年余(あま)り続けて居りますが、何と無く楽しく感じる様に、自然に行(おこな)える様にも為(な)りました。
今、出来る事を行って居ると、すると何か良い方向へ展開し回転して行く。不思議と必要なものも巡(めぐ)って来る様だ。全(すべ)てが繋(つな)がって居ると言う感じです。と、言う事は主体的に生きなければ意味が無いと言う事か。「主体的に生きるとは、自分の考えや立場をハッキリ持ち周(まわ)りからの影響を受けずに動く性質。」「楽しいとは、主体的に生きる事で在ろう。」主体的に生きなければ、奇異に映る様な事象をも行う事が無い。「成(な)すべき事を為(な)す。」が、在れば時間が掛かっても遣(や)り抜(ぬ)く。必ずや果(は)たすと考えて居るならば「一心不乱(いっしんふらん)」に行うべし。
奇異に映る事象とは、誰も遣(や)らない事で在ろう。誰も遣らないので、己(おのれ)が遣る外無(ほかな)しと考える。誰も遣ら無いので、先ず己が行うので在る。(上代)
良いと想った事は即行動。