『京町家』のお話。其の47 カマドと炊事用炭火の石鉢組。

 カマドと炊事用炭火(すみび)の石鉢組(せきばちぐみ)。水田が拡(ひろ)がり郊外に農村は形成されて行く。農家(竪穴式(たてあなしき)住居~屋根が迫上(せりあ)がり草葺(くさびき)屋根伝統建築へ)では古墳時代(後300~538年)朝鮮半島よりカマドが伝わり普及(ふきゅう)する。隅(すみ)にカマド、中央に暖房兼の囲炉裏(いろり)等も設(もう)けられ近世に至る。
 平城京、其(そ)して平安京へ都(みやこ)は、都市が形成されて行く。大陸中国より伝わったと想わる炭火(すみび)と炊事具が都や都市で煙の出無い、防火的にも安全な炊事へとカマドに替わって、都市での暮(く)らしの中に用(もち)いられた。庶民の都市での住居「長屋(ながや)」が初めて公共事業により整備される。定型(ていけい)の間口(まぐち)の狭(せま)い屋内での防火上有効な炊事の炭火の石鉢組(いしばちぐみ)が、木製の流し(はしり)と共に設けられ傍(かたわ)らに水甕(みずがめ)や井戸も設けた。平安京で初めて土間(三和土(たたき))から解放、貴族と同じ板間での床上暮(ゆかうえぐ)らしが始まった。其(そ)れと共に、貴族と同じ炭火による暖房や炊事具が取り入れられた。桓武(かんむ)天皇は今日迄、廃都(はいと)を繰り返した反省から「平安京」の永久(とわ)の繁栄を願いて庶民共々(ともども)運命共同体の認識に立ち、庶民の暮らし幸福をも求め、有司百官(ゆうじひゃっかん)を置き産業の振興、産業育成を図(はか)った。千年の都への為(ため)、国を治(おさ)め民(たみ)も救う、経済を盛んにする必要が在った。(上代)
           想像と創造を言葉に文字に換えて伝える。