『京町家』のお話。其の46 竪穴住居に柱が立ち迫上がる。

 竪穴(たてあな)住居に柱が立ち迫上(せりあ)がる。元来、庶民(しょみん)の住居は太古よりの農家で縄文(じょうもん)(紀元前一万一千~前500年)より竪穴式に住まいし歴史の流れの内に触れ見送って来た居場所でも在る。竪穴住居の土間は円形から楕円形(だえんけい)へ飛鳥(あすか)時代(538年~)に入り平地式の長方形と為(な)る。
 飛鳥時代に日本初の寺院、飛鳥寺に建立(こんりゅう)された。仏教に熱心な蘇我馬子(そがのうまこ)、氏寺(うじでら)でも在る。続いて飛鳥寺を手本に聖徳太子の氏寺、法隆寺も建立される。飛鳥寺は百済(くだら)の渡来人(とらいじん)技術と大和政権に依り建てられた。日本の寺院建設は中国の寺院建築が伝わらず、最(もっと)も高度な宮殿建築技術が伝わったもので在る。此の建築技術は多方面に波及(はきゅう)、住宅に生かされ庶民の住まいで農家の竪穴式住居にも活かされ今日でも見られる茅葺(かやぶき)、藁葺(わらぶき)屋根伝統建築へと移って行く。
 其(そ)れは、外壁周提(しゅうてい)(土塁(どるい))の版築(ばんちく)工法で腰壁に短い柱が中心に立つ、此れが内法高(うちのりたか)さ迄(まで)、迫上(せりあ)がり柱と壁は立ち上がった。柱の両面の竹小舞編下地(たけこまいあみしたじ)と土塗籠大壁(つちぬりこめおおかべ)は土塁風に施(ほどこ)される。此の柱の両面の竹小舞編、土を塗籠(ぬりごめ)た壁の完成により竪穴式住居の草葺(くさぶき)屋根は持ち上がり、現在の茅葺屋根等建築と成り得て、古(いにしえ)の竪穴式住居は草葺屋根伝統建築物として今も伝わる。(上代)
          逃げないで、苦難が又、来たかと想う事。