『京町家』のお話。其の45 町屋の屋は長屋を意味する。

 町屋の屋(や)は長屋(ながや)を意味する。「京町家」は町屋とは呼(よ)ば無いので長屋では在りませんが元々は長屋から分(わ)かれた一戸建。元々の長屋とは平安京遷都(せんと)造営当時に公共事業として庶民(しょみん)の為(ため)に住居を整備。初めて、板間で床上(ゆかうえ)の生活を暮(おく)る庶民の町屋として、宮風(みやふう)の長屋が造られた。
 時代を遡(さかのぼ)れば、庶民とは稲作に従事(じゅうじ)した一般の農民で、相対(あいたい)する一部支配者や豪族(ごうぞく)との関係で在る。庶民は竪穴式(たてあなしき)住居に住まい、土間に直接、茵(しとね)と呼ぶ敷物に暮(くら)し、支配者や豪族等は土間生活を忌(い)み嫌(きら)って祭殿建築様式に近い高床式住居に住まいした。庶民とは農家が全(すべ)てで在って公共事業の造成、道路整備、兵役にも理不尽(りふじん)に駆(か)り出され、農民の暮(く)らしは水田と伴(とも)に在った。奈良時代に入り都市は機能せられて貴族、役人、使用人は平城京に定住する。
 飛鳥(あすか)時代に「部(べ)」と称(しょう)す職業集団は生じ渡来(とらい)系も多く氏族(しぞく)を名乗り役人、使用人で在った。平安京に長屋が造られ貴族の館(やかた)、宮(みや)に対し、屋(や)と称(しょう)した。長屋は公共事業として整備され以後も、時代は下(くだ)り貴族社会から武家社会に移っても都市の庶民の町屋は「長屋」で在った。城下町と替っても公共事業として整備される。室町(むろまち)時代頃迄(ころまで)の町屋では平安京の長屋に起因(きいん)す。(上代)
           成すべき事を為(な)す。