『京町家』のお話。其の39 原型は平城京、下級役人の住居

 其(そ)れでは、平安京遷都(せんと)時の公共事業で造られた庶民(しょみん)の住まい雅(みやび)な平屋板葺、連棟(れんとう)での、「長屋」で在ったが、「京町家」の其の元(もと)のモデルとは。先の都の古代中国、唐(とう)の都をモデルに造られた平城京の下級役人の住まい平屋切妻(きりづま)屋根建物です。屋内(おくない)の半分が床上(ゆかうえ)生活での板の間暮(ぐ)らし、残り半分が三和土(たたき)の土間で在った。
 半土間、半板間の居住空間で寝室の納戸(なんど)は未(ま)だ無く板間の居室、だいどこと呼(よ)ぶ上がり口の囲炉裏(いろり)は炊事と暖(だん)を取る兼用の囲炉裏床(どこ)を設(もう)け、カマドは無い。此(こ)の住まい形態がモデルと為(な)って平安京の雅な庶民の連棟長屋が公共事業で造られた。平城京の庶民の長屋が雅だと言われる訳(わけ)は屋根が贅沢(ぜいたく)に縦に柾目(まさめ)一枚板が伊勢神宮の屋根同様に交互に重(かさ)ね葺(ふ)かれ、室町中期(1450年以後)に普及する縦引(たてび)き鋸(のこぎり)が使われる迄(まで)、むさくるしい屋根の置石(おきいし)も無かった。平城京の下級役人の住まいと、平安京の庶民の住まいの長屋と大きく違(ちが)う点は全(すべ)て、貴族の館(やかた)(宮(みや))と同様に床上生活で土間は無かった。
 外(ほか)に土塗籠真壁(つちぬりこめしんかべ)は道路から見えぬ様に網代(あじろ)で覆(おお)いて見世(みせ)の間に蔀(しとみ)を真似(まね)、飾格子(かざりこうし)も嵌(は)められ(屋(や))と称(しょう)し分(わ)け、平安京の雅(みやび)をも醸(かも)し出した。(上代)
            大事なのは、元気を出して克服せねばならぬ。